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2023年7月17日月曜日

ジブリ作品『君たちはどう生きるか』を観ました。その感想、というより考察。

宮崎駿さんの最新作で、遺作となる予感を感じ取ったために全てをやり切ったらしいという噂。商業的しがらみから解き放たれた作品であるというメッセージを込めるために、内容に関する情報を広告メディアへ秘匿した宣伝方法をとったらしいという噂。

そんなふうな噂がSNSを通じて私の目にも届いたので、そんなふうに純粋な創作への思いが詰め込まれた作品ならば是非観たいと思って観に行ってきました。

結果としては面白かったです。2時間があっという間に過ぎました。

でも、作品自体のストーリーを楽しんだのかというと、そうではない気がします。作品を見ながら、お話に出てくるアイテムやセリフのメタファーを解読し、考察する自分の妄想ばかりに夢中になっていたと思います。

ジブリ作品って、考察するものという先入観が無事に私にも植え付けられていたんですね。上映が終わって、近くの席の子供が「無事に夏子、助けられて良かったね」と言う言葉を聞いて、「ああ、自分は別に夏子さんが助けられても助けられなくてもどっちでも良かったんだ」と、お話の筋の部分になにか感慨を抱いていたわけではなかったことに気が付きました。

ですので、物語を観た結果、そこから生まれる考察や妄想を楽しめる、というところまでを作品の評価とするならばとんでもなく楽しめましたし、ストーリー部分だけを作品の評価とするならば、メタファーが多く難解で、意味が分からない作品だったということになると思います。

感想はここまでです。ここからは私の考察や妄想です。


この作品を一言で要約するなら、戦争で母が亡くなったトラウマを再誕生療法で克服する話だと思います。

人間は生きているうちにもう一度生まれなおす。という言葉を聞いたことがあります。それは、人が神という存在へ近づく試練でもあり好機でもあるそうです。

仏教などの教えによると人間は何度も輪廻転生して、神の領域に近づきます。生きている間に輪廻転生できた人はこの世に居ながらにして神様になったと崇められます。

例えば、亡くなって3日後に復活したキリスト様ですね。

(日橋はキリスト教徒ではありませんが、呼び捨ては気が引けるので様をつけています。)

生きている間にケダモノへ身を堕とした人は輪廻転生してケダモノになるより蔑まれます。

『千と千尋の神隠し』の千尋の両親とか『山月記』の李徴とかです。


今作の主人公である眞人君は母を亡くし、妹の夏子さんのもとに引き取られます。眞人君の父は夏子さんを愛し、一緒に住み始めます。

その夏子さんは妊娠をしていますが、臨月に達したときに姿を消してしまいます。自分に腹違いの弟が生まれる。(たしか、血もつながっていないはず。)という体験がそのまま再誕生の体験になっているのではないでしょうか。

その妄想を支える、いろいろなメタファーがあります。

例えば、作中に登場する白い生き物「わらわら」。

人間に生まれかわる、二重螺旋状になって月の浮かぶ空へ飛んでいく、内臓を栄養とする。など、精子と遺伝子と胎児が一緒くたに表現されているように思えます。

他にも産道を模した三角形のような道に侵入すると、おそらく神経部に電気が走ったり。

女性であるヒミには夏子のいる部屋、おそらく子宮の前までしか案内できなかったり。

そういう、生命誕生の神秘を塔の中に入って体験するという要素が、再誕生の妄想をはかどらせました。


これに、日本神話と仏教がかけ合わさっているような感じがします。

夏子さんは天照大神様で、天照大神様同様実の夫は不明であるっぽい。

ヒミさんは火を操るからヒノカグツチ様っぽい。

死につながる門を開けて、振り返らないようにして領域をでるから、イザナミ様のいる黄泉の国訪問っぽい。

塔の中の世界を作ったのはイザナキ様で、世界づくりを子孫の眞人君に継がせたいっぽい。

眞人君は弓を作り、自動追尾型の矢も作成するので、天羽々矢を作った天若日子様か、その父っぽい。(『千と千尋の神隠し』に出てきた、ニニギノミコト様モチーフのハクとの対?)

身の回りを世話して、お守りとなって守ってくれる7人のお婆さんは7福神のようなお顔をしているっぽい。

道中守ってくれるキリコさんは法輪が描かれている法被を着ており、切子灯篭でもあり、七福神の恵比寿天様としても導いてくれているっぽい。

などなど、日本神話と仏教モチーフっぽいものが沢山出てきます。


時の部屋の番号はさっぱり分かりません。


これに加えて、ペリカンは男性性欲の象徴なのかなとか、インコは人間の営みの象徴で、その将軍は昭和天皇陛下のメタファーなのかな、だから、神のイザナキ様と会えたのかな、だから、反戦の思想として最終的にはイザナキ様に会える立場から普通のインコになったのかなとか、アオサギはいたずらに生と死を案内する生臭坊主なのかな。などを考えました。


ですので、私の中では最終的に『君たちはどう生きるか』という作品はこういう風な解釈に落ち着きました。

戦中、母親を亡くした眞人君が夏子さんの出産をきっかけに、キリコさんに助けられつつも、生臭坊主に死後の世界や神話の世界の話を聞き、精神的に再生誕して母親の死を乗り越えた話である、と。

そのお話を終えたうえで、私たちに問いかけるのです。

君たちは(もし、この世で再生誕したら)どう生きるか、と。


皆さんはこの作品を観て、どんなことを考えましたか?