このブログを検索

2021年3月25日木曜日

ジェントルマンへの偏見

皆さんこんばんは日橋喩喜です。

私が行きつけの洋菓子屋さんの前に高そうなリムジンが止まっていたのでびっくりしました。
中からは山高帽をかぶったジェントルマンが出てきます。
少し苦手なタイプの目つきをしていましたので、上目遣いでチラチラ見ながら観察をしていたのですが、不思議なものでリムジンが走り去って行ってジェントルメンだけが取り残されていると、途端にお菓子にも理解のある優しい感じのお姉さんに見え方が変わるので不思議なものですね。
彼はドアのベルをひっそりと鳴らして店内に入っていきます。
私もその後をついて入っていくと、中は甘い匂いで満たされていました。
私はチョコレートサンドを籠の中に入れてジェントルマンの様子を伺っていましたら、両手で抱えきれない大きさのホールケーキを二つ指差してこれを下さいと言っていました。
私のイメージの中でジェントルマンというのは皆パティシエお家の中に召し抱えていて、好きなものを好きなだけ作らせるという貧相なイメージしかありませんでしたので、箱詰めされた1ホールケーキを二つ抱えて帰っていく様がとてもエモーショナルだなと思いました。
自分一人がそれをゆっくりと食べるために買っているというのもいいし、家族の誕生日のためにそれを手に抱えて玄関を入って行って家族に行って迎えられると言うそういうようなシチュエーションもいいなと空想せずにはいられませんでした。
私はそれからクッキーを10枚程度かごに入れて、さらにはマカロンを5個一つのセットになっているものを購入し家路に着きました。
家に帰ると母が迎えてくれました。
母は私が手に抱えていたお菓子の箱を目ざとく見つけると、「お茶を入れるわね。ほうじ茶以外があったかしら?」と言って台所の方に急いで行きました。
私は買ってきたお菓子をテーブルの上に置くと、あのジェントルマンもこういう風に家族とあのホールケーキを一緒に食べていたらいいなと思いながら、母と一緒に母が入れてくれたアールグレイティーを飲みつつもチョコレートサンドを胃に納めました。

2021年3月24日水曜日

日本語も英語も上手な彼女

皆さんこんばんは日橋喩喜です。

大学という場所は色々な地域や地方の方から集まってくるので、方言の見本市のようになっていますよね。東京の方ならいざ知らず、標準語を喋る人の方が物珍しい目で見られることが多く、講義で集まった時とかも無言で喋らない人も結構いますね。(ただ寡黙な人なだけかもしれませんが) 彼女らの話を聞くと、日本円をいくらか払うから、標準語で喋ってほしいと言っていますが、彼女は英語を専攻していて、いつも英語を喋っているようです。 私も多分に漏れず、9年間英語を習っていたのに一向に喋ることができなかった側の人間ですので、できれば私としても日本円をいくらか払うから、彼女に標準語で喋ってほしいと思いました。 言いました。すると彼女は財布から1000円を出して私に渡してきたので、私も財布から1000円を出して彼女に渡しました。なんだか、ただの交換になっていたのが変におかしくて、つい笑ってしまいました。彼女も微笑んでいました。 「じゃああなたは標準語で喋ってね」 その言葉を聞いてハッとしました。彼女は元から標準語を喋れるんだった。私だけが標準語を喋るために努力をするのは不公平じゃない? 私は自分の財布から1000円返すと、彼女の財布から1000円出して私に返しました。 ずるい!!一枚上手じゃない!!

2021年3月23日火曜日

イラ立ちの当たり屋

 皆さんこんばんは!日橋喩喜です。

夜のうちに雨が降ったのか、いつも通る道路わきに水たまりができていて、その近くを通る車は速度を落として通っています。

できれば横を通りたくないのですが、母が注文した牛肉を肉屋さんへ取りに行くには、そこを通らなければなりません。

車が通らないタイミングを見計らって歩幅を調節していたのですが、私を抜き去って妙齢の女性が通った瞬間にスピードを落とさない軽自動車が。

みごと、彼女のスカートが濡れ、ショックで一瞬たたずんでいましたが、車の姿が見えなくなってしまうと、どこにイラ立ちをぶつければ良いのか分からなくなったらしく、私に「おい!」と言って、イラ立ちの当たり屋をして行ってしまいました。母が注文したお肉は、ビーフシチューになりました。おいしかったのですが、脳は昼のことをいつまでもリフレインしていました。

いつまでもいつまでも。

2021年3月22日月曜日

交差点のファッションリーダー


皆さんこんばんは!日橋喩喜です。
朝からぼんやりとスクランブル交差点のライブ映像を眺めながら、パジャマから肌着がはみ出すのも気に留めず、ふかぶかとソファーに沈んで何もせずにいました。

交差点の映像を見るのは案外刺激的で、誰もが同じような格好をして歩いているという事実は自分の私服のダサさを無言で肯定してくれているような気になりますし、時々ファッションリーダーがカメラ前を通り過ぎると、「トカイという場所はこれを受け入れられるんだ……」とドキドキしてしまいます。

そうして、ハロウィンの映像に変えて、人の多さを受け止められる交差点に敬意を払いたくなるのです。

ファッションリーダーにも、スクランブル交差点で乱心もできない私は、せめて家の中だけでも悪ふざけしようと思いましたが、母に怒られたので止めました。