皆さんこんばんは、日橋喩喜です。
今日はハロウィンですね。皆さんは渋谷でお酒を飲みながらどんな大暴れをしましたか?
最近は可愛いコスプレばかりが多くて、目の保養にはなるんですけれども、「かつてのハロウィン感」が感じられずちょっぴり悲しい私です。
10年ほど前はハロウィンのことが大好きで、みんながまだハロウィンのことさえも知らない頃、私は一人で雑貨屋を訪れ、多くないお小遣いを握り締めて、かぼちゃやコウモリのグッズを買っていました。
今となっては、9月の終わりぐらいから、あまりあるハロウィングッズが供給されて、嬉しさと悲しさを同時に味わっています。
どうしてハロウィンが大好きだったかと言うと、生と死の丁度交わるところ、普段はぼんやりといつまでも自分の命があり続けるという途方もないうぬぼれが、自分のことをきちんと戒めて、 川端康成が言うような、末期の眼を思い出させてくれるからです。
自分の死というものをきちんと未来に設定して、 今の自分が見ている景色は、もう二度と見ることができないかもしれない、そういう気持ちを持ってハロウィンの飾り付けを見ることで、賑やかな音楽とか、きらびやかな飾り付けが、より一層寂しく美しく見えるのです。
だからこそ、生きている私たちのするコスプレは、より死に近いものや異形の物にすることで、生と死の交わりを実感することができると思うんです。
だから私は、最近のハロウィンの流行に上手く乗ることができず、可愛い格好をすることができないまま、今日を迎えることになりました。
それでは私がいつも、ハロウィンになるとしている、 お子さんのコスプレをご覧ください。