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2019年11月12日火曜日

物見櫓から見る丘陵


皆さんこんばんは、日橋喩喜です。

11月に入り、だいぶ涼しくなってきました。

朝晩の冷え込みが激しく、舞鮫柄のお布団も大活躍しています。

昨日は夜になって、空に雲がかかっていないと、こっそり家を出て散歩をすることにしました。

お供には懐中電灯を持って、川の方へ向かっていきます。

別にドキドキするわけでなく、ぼんやりとした頭の中をだんだんと枯れ行く、ギザギザした葉っぱの茂みで自分の脳内のストレスを覆い隠しながら歩いている様子は、 姿を見たことのない鍵穴を探して沖縄県まで渡航する、架空の南京錠の鍵の童話のようだななどとぼんやり考えているうちに、見たことのない物見櫓に辿り着きました。

女子大生のカンが囁きます。

「これはインスタ映えしそう」

しかし登っていいものだろうか。

そんな事を考えながらも、ますますその中に入ってみたいという欲求が自分の動脈と静脈を這い回り、鳥肌を縦横無尽に立たせました。

しかし、私有地であればもう少しわかりやすい柵や、 公共でないことを示す立て看板、その土地の家の人の私物や何かがもっと多く置かれていてもおかしくないだろうということで、こっそり登ってみることにしました。

ビルで言うと2階の高さまではしごをゆっくりと登っていきます。

登ってみると不思議なことに、あたりに住宅街も何もありません。

あるのは、どこまでも広がる丘陵とそこに生えている草を食む、たくさんの羊たち。

私はびっくりしました。

そして、今まで見えていた舞鮫町はどこに行ってしまったんだろうと、ぼんやりしていた頭の中がクリアになって自分に問いかけます。

傍らには、弓と矢が3本置いてありました。

私は自分の持っていたスマートフォンで矢の先っぽをよくよく照らしてみます。どうやら本物のようです。

本物というのは子供が使うような先端がゴムの吸盤になっているのではなく、獣を撃ち抜く鋭さのある本物の矢だということです。

自分が見ているのは夢か現か、わからなくなりましたが、ほっぺたを引っ張ってみても、寒さと高揚感で痛みがよくわからず、夢か現か見分けがつきません。

そこで一旦矢をつがえてみて、羊を狙ってみました。一本目は矢の弦をびよんとと言わせ、
やぐらの縁に当たって下へ落ちていきました。二本目の矢は弓なりになって、ひつじのはるか手前に落ちます。




なんとなく要領を掴んだ私は、胸を反らせることに集中して思いっきり身をひき、そっと矢から手を離しました。

矢がシュッと風を切って飛んで行きます。 

そして微かにドスッと音をさせて羊の鼻先の土を射貫きました

そして羊は驚いて駆け出していきます。

いざ当たるか当たらないかという段になって、私ははっとしました。

そして指先が震え、自分のしたことの恐ろしさにゾッとしました。

普段は蚊ほどしか殺すことのできない私に、なぜ弓を引くということができたのでしょうか。

たった3発とはいえ、あんなに羊のことを驚かすほどに精密に矢を打つことができたのはどうしてでしょうか。

恐ろしくなって、物見櫓をゆっくりと降り、地面に足がついた頃には特に疲れてもいないのに、息がきれて肩が大きく上下していました。

当たらなくて良かったと、今になって実感しています。

そして私は急いで家の方に走って行きました。

しかしふと気になって後ろを見たところ、なんとその物見櫓はありませんでした。

翌日の朝、 自分の記憶を頼りにその物見櫓のあるところまで行きましたが、そこにやっぱり物見櫓はありませんでした。

代わりにそこは墓地になっていて、そのお墓の真ん中にはやじりがいくつか供えられたお墓がありました、

私は近くのコンビニに行ってミネラルウォーターとハンカチを買って、そのお墓の汚れていたところを軽く拭いてあげました。

きっと、お墓の主がもう一度矢を射たかったのだと今なら分かります。

それなら、通信制の弓道でも習っておくべきだったなと後悔しました。




その日の晩ご飯はジンギスカンでした。とても美味しかったです。